遺産分割協議と錯誤無効

遺産分割協議書を作成したところ、後日、相続人の一部の者が、遺産分割協議に錯誤があったから無効であるとの主張がなされることがあります。この点につき判断した裁判例をご紹介します。

東京高裁昭和59年9月19日判決・判例タイムズ544号131頁

Xは、遺産分割調停において時価2500万円の遺産を時価1293万円ないし1559万円程度であると誤信して遺産分割の合意をした後、Xが上記合意には要素の錯誤があり無効であると主張して無効確認の訴えを提起したところ、判決では、要素に錯誤があるが、Xに重大な過失があるため無効の主張は許されないとされました。

広島高裁松江支部平成2年9月25日判決・家庭裁判月報43巻3号88頁

「Xらは、被相続人の遺産である預金の額が真実は約2434万円(元利合計)であるにもかかわらず、Yの虚偽の説明によって約1900万円であると誤信したうえ、本件相続権の行使につき、X1は550万円、X2は300万円を各取得し、その余の請求はしない旨の各意思表示に及んだことが明らかである。
遺産分割においては、その分割の対象となる遺産の範囲が重要な意義をもつことに鑑みれば、相続権の行使における意思表示においても、その前提となる遺産の範囲が重要な意義をもち、この点に関する錯誤は、特段の事情がない限り、要素の錯誤にあたるものというべきである。

これを本件についてみるに、もともとXらの取得金額の決定が一定の合理的な算定基準によるものではなかったこと、Xらにおいて、他の相続人らの取得額に関心をもったと窺える形跡がみられないこと、また、抗告人らは、Yに被相続人の祭祀の世話を委ねるため、法定相続分の全額までを要求する意思ではなかったことが認められるけれども、一方において、Xらが、遺産である預金の総額を全く度外視して各自の取得金額を決定したといい切るだけの特段の事情は認められず、真実の預金額とXらの誤信した預金額との差額も約534万円と大きいこと、Xらはいずれも各4分の1ずつのいわば大口の法定相続分を有する相続人であること等の諸点に照らせば、抗告人らの右各錯誤は要素の錯誤にあたり、Xらの右各意思表示は無効と解すべきである。」

最高裁平成5年12月16日判決・判例タイムズ842号124頁

特定の土地につきおおよその面積と位置を示して分割したうえ、それぞれを相続人甲、乙、丙に相続させる趣旨の分割方法を定めた被相続人Aの遺言が存在したのに、妻である相続人Wが同土地全部を相続する旨の遺産分割協議がされた場合において、相続人の全員が遺言の存在を知らなかったなどの事実関係のもとにおいては、甲のした遺産分割協議の意思表示に要素の錯誤がないとはいえないとされました。

東京地裁平成11年1月22日判決・判例時報1685号51頁

Xの錯誤は、本件遺産分割協議を成立させるに至った動機の錯誤ではあるが、Yらがその提示する分割案における以上の遺産をXが取得できないかのような説明を行ったためにXがそのような動機を抱くに至ったのであって、要するに、本件錯誤に係るXの動機はYらがXに本件遺産分割協議に応じるように説得したYらの説得内容そのものであるから、Xの動機は当然にYらに表示されているものというべきである。そして、Xが民法903条所定の相続分に従った遺産分割を希望すれば本件遺産分割協議の内容(Xの取得額は約4200万円)よりもはるかに多くの遺産(民法903条に従った場合のXの取得額は相続債務及び相続税を控除しても少なくとも約2億6000万円)を取得できる可能性があることを知っていた場合には、通常人であれば本件遺産分割協議に応じることはないと解されるから、Xの錯誤は本件遺産分割協議成立に向けた意思表示の要素の錯誤というべきであり、Xの錯誤によって成立した本件遺産分割協議は民法95条により無効である。

東京地裁平成18年11月29日判決・判例秘書

Xの遺産分割協議は錯誤無効であるとの主張につき、判決は、①遺産分割協議はXの意向に沿うものであること、②提供を受けていた資料から被相続人の財産がどれだけあり、自らが、何を取得するのかは理解できていたはずであること、③協議書は本文部分が4頁で、体裁も分かりやすいものであること、④相続税の申告書の1枚目のXらが押印をすべき箇所のすぐ下には相続人それぞれの取得財産の価額が記載されていること、などを勘案するとXに錯誤があったとは認めがたいとしました。

東京地裁平成19年2月26日判決・判例秘書

「仮に、本件遺産分割協議成立時に、客観的に存在したAの遺産と本件協議書に挙げられている遺産とが齟齬していることがあったとしても、本件協議書によれば、本件協議書に挙げられていない遺産が判明した場合は、被告Y2が取得するとされているので、そもそも、本件遺産分割協議は、本件遺産分割協議成立時に客観的に存在した全ての遺産が個別、具体的に網羅された趣旨の協議ではないから、Xにはこの点について意思表示に錯誤があったとは言い難い。」

「遺産の客観的な評価額と本件遺産分割協議成立時にXが認識していた遺産の評価額とが齟齬していることがあり、寄与分の存否や生前贈与の有無等についての客観的な事実とXの認識との間に齟齬があったとしても、これらの認識の齟齬は、本件遺産分割協議の意思表示をするにあたっての動機についての錯誤であるに過ぎず、Xは、本件遺産分割協議成立時にこれら動機を表示したことをなんら主張、立証しないし、かえって・・・原告は、遺産の範囲、評価額についての説明を受けたうえで、本件協議書案に実印を押印して、本件協議書を作成しているものと認められる。」

東京地裁平成27年4月22日判決・判例時報2269号27頁

「原告らは、亡母が死亡当時保有していた全ての預貯金及び株式の内容を知らないまま、被告が文面を作成した別件遺産分割協議書にはそのほとんどが記載されているものと信じて、これに署名なつ印したものというべきであり、別件訴訟において認定されたとおり、そのことは、被告との間においても当然の前提となっていたというべきであるから、別件遺産分割協議に係る原告らの意思表示には要素の錯誤があり、無効であるということができる。

そうだとすると、その後間もなくしてされた本件遺産分割協議の際にも、別件遺産分割協議と同様の錯誤が原告らにあったというべきであるから、本件遺産分割協議に係る原告らの意思表示には要素の錯誤があり、本件遺産分割協議は無効である。」

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